六月大歌舞伎午前の部_市川中車さんの渾身の演技と若手の活躍!

六月大歌舞伎、見てきました!


久しぶりに訪れた歌舞伎座は、あいにくの天気ながら、大入り満員、心なしか、若い人も多いように感じました。客足がすっかりコロナ前に戻っていることもさることながら、二部制になり、休憩も3回あって、なんだか懐かしく、嬉しい気分になりました。

何より、大向うが復活してたのが、感慨深く、テンションが上がりました。
やはり、「澤瀉屋!」「松嶋屋!」と、絶妙なタイミングで2-3階席左右から掛け声がかかると役者さんたちもより一層、気合が入るのではないでしょうか。

演目は、近松門左衛門の「傾城反魂香」、河竹黙阿弥の「児雷也」、清元節の「扇獅子」でした。

「傾城反魂香」は、生まれつき言葉の不自由な絵師の又平と、口の達者な女房の夫婦の絆に胸が熱く、ほっこりするお話でした。

又平は、市川中車さんが演じていましたが、前半の、師匠に認めてもらえない時の苦しい演技は、猿之助さんのことも思って・背負っての演技にどうしても感じられ、いつも以上に胸に迫るものがありました。中車さん、一時期出られなくなられてから私は初めてお目にかかったので、改めて、復活されてよかったと思いました。

後半の、明るくコミカルなシーンも含め表情の演技が、さすが、中車さんでした。

女房役は、もともと、猿之助さんの予定でしたが、代理で演じたのは、中村壱太郎さんでした。おしゃべりで世話好きの女房をとっても面白く可愛らしく演じられていて、若手役者さんなのに抜群の安定感で、一緒に行った母も絶賛していました。

又平の後輩弟子は、市川團子さんが演じていました。先月、明治座猿之助さんの代役を急遽務めて一躍話題になった市川團子さん。中車さんとの親子共演を見ることができ、感慨深いものでした。

二幕目は、師匠から認められたその後のお話でした。中村米吉さん演じるお姫様がさすが美しく、煌びやかかつ上品で本当にうっとりしました。又平が描いた大津絵の、藤娘や座頭が実際に飛び出してくる流れは見ていて飽きず楽しく、最高でした。若手役者さんたちの躍動を感じ、見ていてワクワクしました。

児雷也」は、中村芝翫さんと片岡孝太郎さんとの掛け合い、そして中村芝翫さんと長男の中村橋之助さんの共演が見ものでした。片岡孝太郎さんは、高校の修学旅行、京都の南座で初めて見た歌舞伎にも出演されていましたが、約12年前のその頃から変わらぬ美しさです。中村橋之助さんは、オオカミ?のような被り物を着用して登場され、とても勇ましかったです。ちなみに、中村芝翫さんの次男・福之助さんと歌之助さんは、「傾城反魂香」の二幕目で登場し、颯爽とした演技を見せていました。

(つまり「成駒屋3兄弟」勢揃いの午前の部でした!)

そしてこの演目には、蝦蟇も登場!その滑稽な可愛らしさ・不気味さと、中村芝翫さんの貫禄・迫力のコントラストが印象的でした。
そして、三味線と長唄の見せ場もあり、音の面でも、味わい深い演目でした。

照明も暗めで演目全体に漂う妖しい雰囲気が、クセになりそうでした。

最後の「扇獅子」は、一転、とても爽やかでパッと明るく華やかな演目でした。とはいえ、芸者さんたちが、獅子頭をかぶって、揃って頭を振る最後のシーンは圧巻。

1・2幕目「傾城反魂香」で女房役を好演した中村壱太郎さんが「センター」で存在感を放っていました。坂東彌十郎さんの一人息子・坂東新吾さんはお父さんに似て長身で、すらりとモデルのよう。踊りも優雅です。中村児太郎さんも同様にすらりと優雅でした。中村米吉さんはやはりこの演目でもとにかくたおやかで美しく、小柄な中村種之助さんはピンクの着物がよく似合い、走って登場するところも愛嬌たっぷりで可愛らしかったです。この5名が並んで獅子頭を振るシーンは、中村壱太郎さんは滑らかで柔らかで、坂東新吾さんは形を忠実に守っているような規則正しい動きで、中村種之助さんは一生懸命さが伝わってくるなど、5人それぞれの個性がそれぞれ表れていて見応えたっぷりでした。

雨の日だったので、傘やバッグで手が塞がって、現場では何も写真を撮っていないのが心残りです…!

歌舞伎座を出ると、天気は雨なのに心はとても晴れやかな気分になっていました。

市川中車さんの「覚悟」を感じさせる熱演や中村芝翫さんの貫禄でこちらまで気が引き締まり、片岡孝太郎さんや中村米吉さんの美しさに心清まり、若手役者さんたちの溌剌とした演技に元気をいただいて、充実の日曜日のひとときでした!

勘九郎・七之助の兄弟共演と「寺子屋」で子を思う幸四郎さんの涙

秀山祭九月大歌舞伎の第一部は、
一幕目が宮本武蔵の武勇伝をモチーフにした平成11年の新作

「白鷺城異聞」、二幕目が名作「菅原伝授手習鑑から『寺子屋』」でした。

「白鷺城異聞」は、自分の出身の熊本と縁のある宮本武蔵のお話ということで、まずそれだけでも興味をそそられました。宮本武蔵が晩年を過ごした熊本では、熊本大出身の漫画家が「バカボンド」を描いたり、宮本武蔵をテーマにした市民ミュージカルが企画されたり、「宮本武蔵」をテーマに大いに盛り上がっております。個人的にもその市民ミュージカルに参加したことがあったりして「宮本武蔵」と聞くとどうしても親近感を持ってしまいます。

武蔵さん自ら、自分のこれまでの武勇を語るシーンでは、「巌流島」「佐々木小次郎」などおなじみのキーワードが出てくると何だか胸が熱くなりました。

以前、大河ドラマ「武蔵」で海老蔵さんが演じていた宮本武蔵のことも思い出したりしました。

とはいえ、この「白鷺城異聞」の見所はまだまだあって、
演目の舞台の姫路城に住み付く亡霊「刑部姫」として中村七之助さん、姫路城に住む、徳川家康の孫・千姫の元夫の豊臣秀頼の亡霊として中村勘九郎さんが登場します。この二人の登場時のオーラはやはり違いますね。七之助さんの妖艶さと、勘九郎さんの存在感。兄弟の共演(競演)が見られて、大満足でした。

もう一つの見どころは、妖怪を表すのに、液晶パネル?のようなものが使われていたことでした。あまりにリアルで私は映像なのだと気づかなかったのですが、連れで一緒に見に行った会社の先輩が気付いて、「あれは新しい演出!あの演出を見れただけでも久しぶりに見に来た甲斐があった」と喜んでらしたのが印象的でした。
新作ということもあって、演出の挑戦もしやすかったのでしょうか。このように、伝統を守りながらも絶えず変化し続けるところが歌舞伎の魅力でもあります…!

二幕目は「菅原伝授手習鑑の『寺子屋』」で、演目としては見るのは二度目でしたが、
最後には親子の絆と悲劇に胸打たれ切なさで一杯になりました。

今回は、中村又五郎さんの孫であり、中村歌昇さんの長男・次男のお子さんたち揃っての初舞台でもありました。それもあってか、同じ保育園/小学校のお友達と思われる子供たちも観客席にいたのが印象的でした。子供たちは一丁前に一人ひとりイヤホンガイドもつけてもらって、いい服をしてきちんと座っているのですが、退屈した際には隠せなくて、身をよじったりキョロキョロするものの、ちゃんと演目の盛り上がるところでは笑ったり見入ったりと反応が素直でその観客席の様子も含めて微笑ましいものでした。
子供たちが元気よく(中には大人が演じる「大きな子供」もいて滑稽に)お習字をしているシーンから始まり、鼻やほっぺに墨をつけた子供たちの姿に、観客の間にも笑いが漏れていました。子供たちの親御さんが寺子屋に迎えに来るシーンも可愛らしく、(一人ひとり順番に帰っていくところが、個人的には、全然分野が異なりますがあの映画「サウンドオブミュージック」の「クック〜」という歌での退場シーンを彷彿とさせ)印象的でした。中でも「大きな子供」を迎えに来た親御さん役は、同じく「大きな」坂東彌十郎さんで、その親子のコミカルな掛け合いも見どころの一つでした。それにしても彌十郎さんの声の通りの良さと、農民役に扮しても隠せない存在感はさすがでした。

そして松本幸四郎さん演じる松王丸の威厳も見事で、後半の、我が子を思い、涙を流すシーンとのギャップも切なく、見ものでした。
松王丸とそのご婦人は最後、白装束になられたので、まさか我が子を身代わりに差し出した罪悪感で切腹をするのかと思いましたが(前回見たときの展開をはっきり覚えていなくて)、そうではなく弔いをされるための白装束でした。お焼香の香りが観客席まではっきり届いて、古典歌舞伎なのにかなりノンフィクションのような臨場感でした。
一幕目は、話の急展開と、華麗な舞踊で胸躍り、二幕目は、伝統歌舞伎ながらの間と熱のこもったセリフで作る切なさが胸に染み入り、どちらも世界に没入して贅沢な時間を過ごさせていただきました。感謝感謝です・・・!

ふるあめりかに袖はぬらさじ〜玉三郎、幕末を生き抜くひょうきんな芸妓を熱演〜

六月大歌舞伎ビラ(発行:松竹)



「ふるあめりかに袖はぬらさじ」というのが今度見に行く演目なのだと知った時は正直驚きが隠せませんでした。歌舞伎の演目といえば古典物を中心に、漢字を連ねた古い、どっしりした雰囲気のものが多いイメージですが、、そんな中、ひらがなで、しかも「アメリカ」と入っている。演目の名前だけで一気に興味をそそられました。

聞けば、有吉佐和子さんという昭和の小説家が書き下ろした演目だそうで、
斬新なイメージの通り、実際、(歌舞伎の演目としては)新しいんですね。

「ふるあめりかに袖はぬらさじ」有吉佐和子著 中公文庫


その有吉さんが書き下ろした物語を脚本の形そのままに文庫本となったものを読んだところ、江戸末期の芸妓さんの話なのだと分かりました。
尊王攘夷」が叫ばれる当時、「あめりか」は、慎重に付き合わなければいけない異国。それはアメリカが怖いとかどうのというより、当然、当時の日本には、そうした異国を受け入れる考え方と、排斥する考え方、様々な考え方の人が入り乱れ、正反対の考えの人同士が居合わせればすぐに争いになってしまうような一触即発の状況だったからですね…

そして遊郭にも、当時は様々な考え方を持った人が訪れるので、芸妓たちも、言動にはかなり慎重で、きっと本音を隠しながらお客様と接したこともあったのでしょう。
今回の物語の舞台は、横浜の遊郭。世界と直接つながっている港町にあるので、「異国を受け入れる」方の遊郭です。
外国の方専用の遊女たちがいた、と聞くとだいぶ先進的な感じがしますが、なぜ、日本人用と外国人用を分けなければならなかったのでしょう。
それは、外国人と一度一夜を共にした遊女は、日本人客から避けられたためです。
なので、一度外国人を相手した遊女は、日本人に好まれない、つまり外国人の相手をし続けなければなりません。そんなわけで、外国人用の遊女は、売れ残りがち、と言うと失礼ですが、曲者の遊女ばかりとう描かれ方をしています。
遊郭としては外国人を受け入れるスタンスだが、その遊郭には外国人以外も、もちろん日本人の客も来るわけなので、日本人にも心地よく楽しんで貰わなければならない、
なので外国人用と日本人用で遊女を分けざるを得ない、という訳です。

そんな中、遊郭にやってきた外国人客が、外国人用の遊女は一人も気に入らず、代わりに連れの日本人男性のために入ってきた日本人用の遊女に一目惚れしてしまったところから物語は動き出します。「なぜ、僕は彼女と共に過ごせないのか、差別だ!」と憤慨します。(余談ですが外国人役が歌舞伎座の演目で見られるとは新鮮でした!!
※実際に演じているのは日本人ですが、体格良く、目鼻立ちもはっきりされた役者さんで本物の欧米人のようにリアルでした。)

実際見に行った歌舞伎の中では、確かに外国人用の遊女は全員「妙ちくりん(と歌舞伎のプログラムにも書いてありました笑!)」な姿・格好で出てきたので、外国人客が憤慨するのも無理もないなと思ってしまいます。
本当に、外国人用の遊女の皆さんの着物は見たこともないくらいド派手で、リボンは顔の3倍くらい大きく、色使いもめちゃくちゃ。化粧もアイシャドー塗り過ぎて目見えないよ、ってくらいで、思わず笑ってしまうんです。彼女たちがこぞってガヤガヤ入場してきたときは、それはもうある意味圧巻で、劇場全体がどよめきと笑いに包まれました。ところで、この遊女さんたちを演じているのは女性役者さんたち・・・!もちろん、女性の歌舞伎役者はいませんので、女性役者さんたち、とは日本舞踊の踊り手や舞台女優の方々です。
通常、歌舞伎座で実際の女性が演じているところを見ることはありませんので(私は初めてで)非常に新鮮でした・・・!そもそもプログラムに、出演者として女性の面々が乗っていらっしゃるのが新鮮でした。

そんな女性陣の中でも一際美しかったのが、、歌舞伎役者(男性の!)坂東玉三郎さんですね。今回、主役の芸妓さんを演じられました。
今回の役回りは、可憐で清楚、というより、おしゃべりで姉御肌、というキャラクターだったので、うっとりする美しさを披露、というような役ではないのですが、
それでもキリッとした美しさがあるし、親しみやすいキャラクターは新鮮でした。それも含めて丸ごと魅力的でした。
この数ヶ月前に演じられていた「じいさんばあさん」の妻役も私の中では玉三郎さんとしては親近感を持ちやすいキャラクターでしたが、今回はそれよりさらに笑いを何度も誘い、誰もが親近感が持てるキャラクターでした。
ですので、ラストで、かぶっていた猫を剥がされボロボロになった感じとのギャップもその分強く、ラストの酒を飲みながらのたうちまわりながら独白するようなシーンは本当に圧巻でした。
玉三郎さん演じるお園さんは、後輩の面倒見のいい一面、お話も三味線も堪能な経験豊かで優秀な芸妓としての一面、ちょっとした女の色気、愉快な酒飲み、そして最後の涙の叫び、様々な顔を見せてくれました。(お園さんのカツラ、についても、この一つの演目の中で、なんと5個も使い分けているそうです…)

この物語、そしてそんなお園さんの幾つもの一面、表情を通して、この演目を通して、当時の女性たちが本音を隠して気丈に生きなければならなかった、あるいは時代に合わせて本音を「書き換えられる」こともあった「切なさ」、そんな中でもなんとか生き抜いていた「強さ」、ひいては、時代を超えて
「女の切なさ」「強さ」を感じました。
見始めた時には、いや途中まで、最後まで、まさかこんな気持ちになるとは思わなかった。
初めは、楽しく笑い転げ、明るく愉快な雰囲気だった観客席も、最後にはしんと、セリフに感じ入るような雰囲気にガラリと変わっていたのが印象的でした。
ですので、きっと会場の皆さんも、私と同じように、あるいはちょっと違う形でかもしれませんが、何かしら、「意外性からくる感動体験」をしていたような気がします。
また新しい体験をさせていただき、感謝感謝です・・・!
一つ一つのシーン、セットまでもが不思議なくらい鮮明に脳裏に焼きつく演目でした。

20220223_歌舞伎鑑賞日記! おめでたい舞と初笑いの演目Part2

前回は、松本幸四郎さん主演の、邯鄲枕物語「艪清の夢」の途中までお伝えしました。船の艪(ろ)を作る江戸の職人である主人公の清吉は、借金取りに追われて、女房と一緒に、池之端の茶屋に居候させてもらうべく引っ越してきます。

清吉は、宝物だった聖徳太子作の画賛を買い戻すためにお金が欲しいが金が無く困っていると茶屋の店主に話し、店主の計らいで、早速その金を工面すべく茶屋の客を騙すことになります。やって来た客の侍を清吉の女房に人妻であることを隠して接待をさせ、客をいい気にさせて騙そうとするのですが、見かねた清吉が「女房に手を出すなーー!」と飛び出して割って入り、客は怒って帰ってしまって金の工面の計画は台無しに。そんなちょっと間抜けな清吉が、この一騒動の後にうたた寝をして、夢を見るのですが、その夢の中のシーンへと舞台が移り変わります。本日はここから。

 

夢の中の清吉は、立派なお屋敷で、何人もの女中さん?おもてなしの芸者さん?とにかくきらびやかな女性たちに囲まれていかにもお金持ちな様子。押し入れの中には眩いばかりの金もわんさか入っています。
(後で調べたところによると、そこは大坂の豪商の屋敷で、清吉は見張り役を命じられ、一年間の小遣いとして)十二万両という大金を与えられます。

そこから月に一万両使うようにとの命令に従い、清吉は早速、外に出ていくのですが、どうやら様子がおかしいのです。何を買おうとしても、お金を受け取ってもらえず、むしろお金をもらってばかりなのです。誰もがお金を欲しがらず、清吉に押し付けて来るようです。

 

清吉は、だんだん重い大金を持って歩くのに疲れて来て、とにかく金を使いたい、、とただその一心でとぼとぼ歩き続け、ついに溜まりかねて道端に金を置いていこうとします。するとすかさず、「捨て金番」という交番のような小屋から男が飛び出して来て、「こら!金を捨てるんでない!」と厳しく叱りつけます。清吉は、「はいはい」と言いながらも、男が小屋に入ると金を置いて逃げようとします。「だからダメだろ!!」と捨て金番の男はまた小屋から出て来ます。

 

他にも、半裸で踊る男が登場したり、(花道でドリフの髭ダンス!)

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盗賊唯九郎=中村錦之助さん(C)松竹

どこからとも無く(今年の干支の)虎が突然現れたりと、さすが夢の中の世界。もうめちゃくちゃです笑 虎はおそらく前足と後ろ足で二人の人が中に入って動かしているのでしょうか、とてもアクロバティックでダイナミックな動きをします。前足と後ろ足、バラバラで自由自在に動いているようで大事なところはシンクロしており、プロの技を感じました。

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艪屋清吉=松本幸四郎さん(C)松竹
夢の中の清吉の着物は黄金。あり得ないくらい立派な身なりです

そんな中、お餅屋さんと出会います。「あ〜やっと金が使える!」と大喜びの清吉。ぜんざいにして餅をいただこうと言い、餅売りの2人にもご馳走する、と金が使いたくて仕方ない清吉は太っ腹です。
三人並んでぜんざいを食べ、餅をのばすシーンも会場の笑いを誘っていました。
こんなにのびているお餅見たことがありません。しかも、一人、また一人と順番に最後は三人で一斉に、何度も何度も、もういいよってくらい餅を何度も引き伸ばすのです。

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左より、杵造=大谷廣太郎さん、お臼=中村壱太郎さん、艪屋清吉=松本幸四郎さん(C)松竹

清吉は、意気揚々と、お餅屋さんにお金を払おうとしますがこのお餅屋さんもどうしてもお金を受け取ってくれません。また仕方なくこっそりお金を置いて帰ろうとする清吉ですが、また「捨て金番」の男に咎められてそれもできません。本当に滑稽でした。

そんなヘンテコな夢から覚めた清吉は、茶屋の座敷で、自分の荷物を枕にして眠っていました。


その荷物を開けると、なんと、ずっと探していた、宝物だった聖徳太子作の画賛があるではありませんか!喜び勇んで画賛を観客にも広げて見せてくれましたが初夢に縁起のよい“七福神の宝船”が描かれていて、私も見ているだけで縁起が良い気がしました。

そこへ、清吉が寝落ちする前に一悶着あったあの「バカ面」のお侍さんが再び茶屋へやって来ます。そして清吉が広げた画賛を見て「オイ!それは俺のだぞ」と怒って取り返そうとします。侍は、前回茶屋を訪れた際に、自分の荷物と、清吉の引越しの荷物の一つを取り違えて持って帰ってしまっていたのでした。

そこで清吉は、「これは元々自分のものだから買い戻す」と言い、女房は「そんなお金ないでしょ!」と慌てますが、まだ寝ぼけている清吉は十二万両が押し入れの中にあった夢の中とあべこべになって、「押し入れに十二万両あるんだ」と意気揚々と押し入れを開けますが、もちろん現実にはどこにもそんな金ありません。

この後どうなったか、というと、なんと私としたことが忘れてしまいました。最後の顛末を忘れてしまうなんてあり得ないと自分でもびっくりです、、やはり記憶の新しいうちに書くべきですね…
最後どうなったか、もし知っている人がいましたら、教えてください笑

純粋に初笑いの演目として面白おかしく楽しむものなのだろうとは思いつつ、お金を「得る」ことばかりに囚われて、何にお金を使うのかを考えない世間の風潮を皮肉っていたのかな、というのが個人的な見解です。

金を得ること自体が目的にならぬように、そのお金を使ってどう人生を豊かに生きるのか考えるのを忘れちゃダメよというメッセージを勝手に受け取って、
真の意味で豊かな一年を過ごしたいなと思った次第でした。

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左から家主六右衛門=中村歌六さん、艪屋清吉=松本幸四郎さん、清吉女房おちょう=片岡孝太郎さん、横島伴蔵=中村錦之助さん(C)松竹













 

20220123_歌舞伎鑑賞日記! おめでたい舞と初笑いの演目Part1

ちょうど約一週間前の1月17日(月)、有給を取って、新年明けて初めての歌舞伎鑑賞に歌舞伎座へと出かけました。今回はとあるご縁で、無料で一階の13列目から見ることができ大満足でした!

 

1階席は、2階や3階に比べてより多くのお客さんのことも見えるので、そして新春大歌舞伎ということもあってか、着物のお客さんもいつもより多く目につきました。

また、感染症対策に関しては、引き続き、入場時に検温と消毒があり、チケットも係の方に見せて自分で切り離すスタイルでした。私が前回鑑賞した際と変わっていた点は、大きく2点ありました。1点目は4部制から3部制になっていたことです。元来、歌舞伎は基本的に午前の部と午後の部の2部制で、一度入るととても長いので途中で幕の内弁当を買ったりして席でご飯を食べるものですが、コロナ禍になってから、2部制の2倍、4部制にすることで、一幕を短く(その分チケットも安く)して頻繁にお客さん・演者・スタッフを入れ替える形を取っていました。しばらくその4部制が続き、私が前回行った際も4部制でしたが、今回は1つ減って3部制となっていました。

 

今回私が見た演目は、
春の寿「三番叟」「萬歳」

と、

邯鄲枕物語「艪清の夢」
でした。

 

まずは春の寿「三番叟」から。幕が開くと同時に、ずらりと、唄方、三味線、お囃子の皆さんが舞台いっぱいに並ばれ、黒い布で鼻〜口元を覆って演奏されていました。

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イメージ。今回の演目のものではありません。ネット記事にあった画像を拝借

この布は感染予防のためのマスク代わりとは言え、元からあったもの、衣装の一部のように自然に馴染み、それもまた粋でした。実際は、上の写真以上に多くの人、約15人ほどが舞台いっぱいに並ばれ、全員がこの黒いマスクをしているとなるとなかなか圧巻でした。

 

いよいよ三人の登場人物が舞台上に現れました。舞台中央の大きな「セリ」が上下にゆっくりと動いてそこに三人とも乗って同時の登場でした。劇場内は期待の拍手に包まれます。

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左より、三番叟=中村芝翫さん、翁=中村梅玉さん、千歳=中村魁春さん ©松竹(株)

ちなみに、タイトルにもなっている「三番叟」役は、昨年の大河ドラマ「青天を衝け」にて、主人公の渋沢栄一と対峙した岩崎弥太郎役を熱演した中村芝翫さんです。

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中村芝翫さん as 岩崎弥太郎 in 2021NHK大河ドラマ「青天を衝け」

ドラマ内では悪役のような立ち位置で、どす黒い、圧倒的な存在感を放っていましたが、今回の舞台上でも、その岩崎弥太郎役に勝るとも劣らない存在感で魅せていました。今回は舞で雅に、堂々と。

 

その中村芝翫さんは56歳。写真中央の翁役の中村梅玉さんは75歳、そして写真右の千歳役中村魁春さんも74歳。あの厳かな舞は、たとえ若くてもかなり足腰に負担がかかるはずですが、見事に演じられており頭が上がりません。

歌舞伎座が出していた演目説明にもあった通り「翁と千歳が格調高く荘重に舞うと、三番叟は躍動感にあふれ」、写真にもある通り、三者三様の衣装の色合いで、観客をうっとりさせました。天下泰平と五穀豊穣を祈った舞だということです。新年にふさわしい素敵な舞で、見ているだけで縁起が良いような、清々しい心持ちになりました。

 

続いては「萬歳」。

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左より、才造役の中村鴈治郎さん、萬歳役の中村又五郎さん ©松竹(株)

梅の花でしょうか、美しい背景の絵の前で、お揃いの衣装・扇子で少しひょうきんさも感じる愉快な動きで「福を招く」舞は、心をポッと明るく灯してくれました。

 

ここで20分の休憩を挟み、第二部へ。松本幸四郎さん主演の、邯鄲枕物語「艪清の夢」です。松本幸四郎さんは松たか子さんのお兄さんですね。プログラムに「初笑いにぴったりの」と書かれていたので、どんなコミカルな物語が始まるんだろうとワクワクしながら幕開けを迎えました。舞台が明るくなると、江戸時代の茶屋のセットが現れました。前半の演目とは全く違う雰囲気です。

 

舞台は上野池の端。今も同じ一帯、不忍池まわりは「池之端」という地名なので、イメージもしやすく親近感が湧きます。確かによく見ると、舞台上の家屋の向こうには不忍池と蓮があるように見える背景の絵で、間違いなくここは上野です。そこで待合茶屋を営む六右衛門(演じるは中村嘉六さん71歳)などが茶屋の周りでせっせと動きまわっています。

 

そこへ花道から愉快に登場したのが松本幸四郎さん演じる清吉と、その女房おちょう(演じるは片岡孝太郎さん)です。清吉は船の艪(ろ)を作る江戸の職人である艪屋で、借金を抱え、この茶屋に居候させてもらうべく引っ越してきます。
何がそんなに楽しいんだというほどニコニコしながら登場する様子から、主人公の面白キャラぶりがなんとなく想像されます。夫がそんなにニコニコする横で女房はくたくたに疲れた顔をして、二人とも引越しの荷物をいっぱいに抱えてよちよち歩いてくる様子を見ているだけで滑稽です。観客からは、登場への拍手とともに、少し笑いのどよめきもあったように思いました。

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大荷物を抱え登場する主人公(同演目を2014年に明治座で鑑賞された方のブログより拝借)

登場直後、花道で、夫婦漫才のようなこんなやり取りも。女房おちょうが「あとどれくらい?重くてもう限界」と絞り出し、清吉が「まだまだだ」と答え、おちょうがうなだれると、「うそうそ、実はもうすぐそこだ」と清吉が励まし、おちょうが「もう、冗談はよしてくださいな」と返す、こういった主旨のテンポ良いやり取りで観客は最初から釘付けでした。

 

そんな二人を茶屋の主人、六右衛門は迎え入れ、夫婦は大きな荷物を置くと、清吉は六右衛門に語り始めます。聖徳太子が描いたという七福神の画賛を宝としていたが、なくしてしまい、ずっと探していて、ついに質屋で見つけたが、買い戻すお金が無いため困っていると打ち明けるのです。

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聖徳太子が描いたという七福神の画賛。©︎松竹

そこでお金を工面するために、夫婦に家を貸す待合茶屋の六右衛門は、茶屋の客を騙してお金を取ろうと、夫婦に提案します。清吉の女房おちょうに人妻であることを隠して接待をさせ、客の侍をいい気にさせて騙そうというのです。

 

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左より、女房おちょう=片岡孝太郎さん、艪屋清吉=松本幸四郎さん、家主六右衛門=中村歌六さん ©︎松竹

早速、客の侍がやってきます。この侍は刀を刺して身なりも整っていますがなぜかバカ殿のお面のようなとても間抜けな顔↓をしておりいかにも騙されやすそうです

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こんな顔。こういう顔を見ると私はすぐ父を思い出します…

早速、おちょうが接待を始め、侍は「お前可愛いのう〜〜」とすぐデレデレになり、「結婚はしていないのか?」とすぐに詰め寄って異常な積極性を見せます。それを六右衛門と一緒に陰から顔をひょっこり出して覗いていた清吉は、見かねて「女房に手を出すなーー!」と飛び出して割って入ってしまいます。

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左より、女房おちょう=片岡孝太郎さん、客の侍の横島伴蔵=中村錦之助さん、(後方)左より、家主六右衛門=中村歌六さん、艪屋清吉=松本幸四郎さん(C)松竹

「人妻とは聞いてないぞ!」と侍は怒って逃げ帰ります。茶屋の主人六右衛門は、「お前、あそこで出て行っちゃいかん」という風に、清吉をたしなめます。

疲れた清吉は横になり、女房が食事を準備する間にうとうとし始めるのですが・・・さあ、ここから清吉の夢の中の世界になります。まるでプーさんのようですね笑 天然なキャラクターも似てますし…
気がつけばここまでで相当長文になってしまいました。続きは来週あたり書きますね!

歌舞伎鑑賞日記!2

3週間前に、

歌舞伎鑑賞日記! - matsuayamjluv’s blog
にて語った内容の続きです!中途半端なところで終わっていたので…

 

前回は「戸崎四郎 補綴 四変化 弥生の花浅草祭」の前半部分について書きましたが、その続き、後半部分を書いていきます。

前回書いた通り、「戸崎四郎 補綴 四変化 弥生の花浅草祭」は、祭で賑わう浅草を舞台に、祭礼の山車に飾られた人形が踊り出すという趣向の舞踊劇です。幾度かの場面転換の中で、2人の役者が衣替えをしながら場面ごとに違う役を演じていきます。

前回までのおさらいをすると、この演目の前半は、
神功皇后とその老臣が、今でいうベランダのようなところに出てきて戦物語や花の話を語り合うシーン

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神功皇后と老臣

 

・「ちょんまげ頭で庶民的な格好をした男性」→漁師2人に、善玉と悪玉が取り憑き軽快に踊るシーン
→前回書きそびれていましたが「アルプス〜1万尺〜」のように2人で手を合わせ、会場から笑いが漏れる場面もあるひょうきんなシーン

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「善玉」「悪玉」に取り憑かれる前の漁師


といった具合に展開していきました。

小舟に乗って舞台から消えていく、尾上松也演じる「善玉」に取り憑かれた方の漁師に向かって、「悪玉」に取り憑かれた方の漁師が「行かないでくれ」と言わんばかりに手を伸ばして見送ったところで前回筆を止めていました。
※「悪玉」の方の漁師を誰が演じているのか鑑賞中は思い当たらず…後ほど種明かしします

そのうち、尾上松也が緑の袴に紫の上着という、小綺麗な「若旦那」といういでたちで登場しました。「悪玉」漁師役のもう1人の役者は、花道に突如開いた穴から姿を消しました。

この「花道に開いた穴」は「スッポン」と呼ばれる、役者が出入りするための仕掛けの一つで、花道の、観客から見て舞台から7:3の位置にあり、亡霊や妖怪など、人では無いキャラクターが登場/退場する際に使われます。
かつては人力で動かして役者を下げていたようですが、現在は電動とのことです。
「スッポン」の穴が開いた瞬間、役者が下がって消えていく様子を見届けようと、観客がこぞって身を乗り出していました。


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「スッポン」で舞台から引っ込んだ先はこのようなまさに「奈落の底」のようなイメージだということです (写真:「歌舞伎座写真ギャラリー」より)

役者の姿が完全に見えなくなってからもなかなか「スッポン」は上に戻って来ず、私含め観客は皆物珍しそうにそちらに注目していました。

残された尾上松也演じる「若旦那」は、神功皇后の時とも漁師の時とも違った落ち着いた表情・佇まいで1人で堂々と舞います。
そのうち再びもう1人の役者が町人といった別の格好で現れ、2人の掛け合いが始まります。漁師同士・悪玉善玉の時のようにシンクロするのではなく、今度は2人の役回りも違うので互いに影響を与え、小気味よく互いに仕掛け合っているような感じです。後に確認したところによると、このシーンは国侍とそこへ通りかかった通人のほろ酔いでのやりとりを描いているそうです。

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「国侍」と「通人」


やがて大きな幕が舞台を覆い、役者・セットの姿が見えなくなりました。しかし音楽は絶えることなく流れ続けます。幕の向こうからは、何やらドタバタと慌ただしい音が漏れ聞こえます。恐らく舞台の大改造を行っているのでしょう。

そんな中、黒子(黒ずくめの衣装を着て役者の着替えを助けたり道具を運んだりする裏方)が静々と現れ、舞台下手寄りにちょこん、と黄金のコーンのような小さな台を置いて立ち去りました。いつもは目立たない黒子も、他に何もない舞台上では、際立って見えます。観客の視線が一挙に注がれるため、黒子もいつもに増して相当緊張感があることでしょう。

やがて音楽が止み、静けさの中、舞台上に現れたのは三味線奏者とお囃子の人です。三味線奏者は先ほど黒子が置いて行った黄金の台の上に片足を乗せ、演奏を開始しました。三味線の一音一音が、静まり返った会場中に、謙虚に、しかし圧倒的存在感を持って響き渡ります。やがてお囃子の人も、三味線奏者の後ろで何やら紙を持って歌い始め、その声もまた三味線の音と重なり合い高らかに響き渡ります。三味線の細かな音の速い羅列に差し掛かると、会場中から拍手が湧き起こりました。三味線の見せ場・クライマックスです。会場の熱量が一気に高まります。

そしてついに幕が上がり、「大改造」後の舞台上に真っ赤と真っ白の長い長い髪を垂らした物凄い迫力の表情の獅子のような2人が現れました。
化粧、いでたち、舞台背景全てが圧巻でただただ釘付けになりました。
しばらく舞が続いた後、2人は最後にその長い長い髪を振り乱し、頭を何度も何度も回転し始めました。盛大な拍手が起き、もうそろそろ止まるかと思ってもまだまだ続きます。流石に表情に疲れが見えてきているのではないかと心配になって双眼鏡を覗いても、2人とも勇ましい表情を保ったままで、むしろ険しさを増しているようです。特に、役者が誰か不明の白い獅子の方は頭の回転の勢いが増しているようで、黒目のむき具合にも鳥肌が立ちます。狙った獲物は決して逃さない、そんな凄みのある目です。この眼力はやはりベテランの経験に裏打ちされているからか、尾上松也に比べても見る者を惹きつけるものがあります。
ようやく頭の振りが終わった時の「ドン」という足踏みが大きく鳴り響いたのもベテラン役者の方でした。顔にかかった髪の毛を、黒子がサッと直します。髪の毛をあれだけ振り乱したので、髪が擦れた線状の跡が白い化粧顔に残ったまま、最後の決めポーズへ。
幕引き、拍子木の音とともに割れんばかりの拍手が起こります。もしコロナ禍で禁止されていなかったら、ここで掛け声(役者の屋号を叫ぶ大向こうという歌舞伎ならではの掛け声)が数多くかかったことでしょう。

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左が尾上松也、そして右が…見覚えありますか?

演目が終わったので、普段貰える、当日の演目解説と出演者が書かれた三つ折りの無料パンフをどこかで配っていないか探しました。係員の人に聞くと、十月頃まで配布していた三つ折りパンフはもう無いようで、代わりに一枚ビラを漸く手に入れました。

ビラを見ると、出演者は、尾上松也と、、片岡愛之助でした。(もったいつけてすみません)なるほど、だからあの存在感、安定感、華々しさだったのかと納得しました。

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半沢直樹」では黒崎検査官を演じた片岡愛之助片岡愛之助尾上松也半沢直樹出演者同士の共演だったというわけだ。


演目解説の方を読んで、四変化で魅せる演目だったのだと改めて理解し、事実、魅せられたなとつくづく思いました。特段演目にストーリー性はなく、涙を誘うようなシーンはないのですが、終盤の三味線独奏や、役者の情熱が迸っていたとめどない頭振りは、胸を熱くするものがありました。

歌舞伎鑑賞日記!

コロナ禍に見舞われた去年も5回見に行ってしまったほど私は歌舞伎が好きなのですが、
緊急事態宣言が出たことで我慢しようという思いもあり、今年はまだ一度も見に行けておらず、そろそろ行きたい、、という気持ちが日々高まっている中、その気持ちをどうにか昇華させるためにも、ふと、過去に見た歌舞伎について記録を残しておこうと思い立ちました。

 

完全に趣味の世界、自己満足の世界ですが、歌舞伎を一度も見たことがない人にも少しでもイメージが伝わるよう、具体的に書いていきます。

 

取り上げるのは、12月に見た「戸崎四郎 補綴 四変化 弥生の花浅草祭」

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歌舞伎座の前には、公演中の演目をモチーフにした絵が張り出される



出演者については、出演者の1人が尾上松也(2020放送の半沢直樹にてベンチャー企業「スパイラル」社長役を演じた)という情報だけを知っている状態で、歌舞伎座に向かいました。

歌舞伎座への入場時には、手指消毒を促され、サーモグラフィーにより体温を測定されます。また細かいですが、以前はチケット半券を従業員が切り取っていたのを観客自身が切り取るオペに変えています。
また、歌舞伎は通常、一日の中で午前の部と午後の部(それぞれ3演目・計4時間くらい)の単位で客入れ・チケット販売を行なっていますが、コロナ禍以降は、一日の舞台を4単位に分け、1演目・1時間ごとに客入れ・チケット販売・客入れを行なっています。
午前の部・午後の部という分け方はもはやせず、一日に4演目公演している訳です。その分、チケットの単価は下がりお求めやすくなりました。
1演目ごとに、役者・スタッフのチームを完全に分け、そのチームの中で1人でも感染者が出たらその演目だけ休止するというルールにしており、1演目ごとに客も入れ替わるので、その度ごとに一斉に客席を消毒している様子もテレビで放送されていました。

今回の私の席は席は2階2扉5列15番。2階席ながら、花道(舞台向かって左端、舞台から一直線に伸びている、役者の入退場の一部に使われる通路)も見えてなかなか良い席です。もう一つのコロナ対策として、今の歌舞伎座では一個空きで席に座ります。例え連れの人がいる場合でも必ず一個空けて座るよう、席が指定されています。

観客にはどんな人が来ているの?という補足情報として書いておくと、私の左隣には、小綺麗な、グレーヘアの(50-60代と見られる)おじさまが座っていました。パンフレットも購入していたのでコアファンのようです。
前の列には、シニアな(こちらも50-60代と見られる)女性2人連れ。2人とも顔・雰囲気が似ていたので勝手な想像ですが姉妹といったところでしょうか。(耳に当てると副音声的に展開の解説をしてくれる)イヤホンガイドをつけているため、初めて歌舞伎を見に来られたような感じでしょうか。

と、こんな感じで少し周りの観客層を観察しているとブザーが鳴って暗転しいよいよ開幕です。舞台は真っ暗なままでも、開幕を告げる乾いた拍子木の音、続いて三味線の音ですぐに歌舞伎の世界へと引き込まれます。

暗転した中でも花道だけうっすらと灯りがついているため花道から役者が登場するのかしらと思いきや、舞台が一気に明転すると既に舞台には役者の姿が。舞台向かって下手側(左側)の、三味線・お囃子部隊、舞台中央に掲げられた美しい幕とその前に立つ役者2人が一気に視界に飛び込んできました。

2人のうち右側は、いかにも位の高そうな女性貴族、左側はそのお付きの人と思われる、赤ん坊を抱いた小柄な老人です。双眼鏡で役者の顔にクローズアップして、女性貴族の方が尾上松也であることを確認しました。半沢直樹の中での勇ましい顔つきとは別人のような、穏やかで落ち着いた高貴な顔つきです。

全体的に静かな、しかし品のある舞がしばらく続いた後、老人に促され女性貴族は舞台中央の幕の中へと姿を消しました。2人が引っ込むと、2人が中に入って行った幕の美しさが改めて際立ち、舞台全体の高貴な雰囲気を一層引き立てています。また、舞台下手側の三味線・お囃子部隊に目をやると、彼らの頭上には「御祭禮(ごさいれい)」と書かれた提灯がいくつか掲げられています。この演目は、祭で賑わう浅草を舞台に、祭礼の山車に飾られた人形が踊り出すという趣向の舞踊劇だそうです。
そして、登場した女性貴族と老人も、ただの女性貴族と老人ではなく、(西暦169年生まれ、江戸時代まで卑弥呼だと考えられていた)神功皇后と、その老臣だったようです。2人が戦物語や花の話を語り合うというシーンだったことを後ほど確認しました。この2人も、祭礼の山車の人形という設定だったのです。

場面は一転、海が背景の舞台に変わり、ちょんまげ頭で庶民的な格好をした男性2人が小舟に乗って登場しました。先ほどまで神功皇后と老臣だった役者2人が、ガラリと雰囲気を変えて再登場です。先ほどまでは神功皇后と老臣と対照的な格好だった2人が、同じ格好で動きもシンクロしています。おどけたような、脚を大きく上下させる激し目の動きです。個人的な話ですが高校生の頃日本舞踊を習っていた際に踊った道化師の曲の振り付けを彷彿とさせるものがありました。

それにしても2人の役者が同じ格好・同じ動きをしていると、それぞれの特徴がよくわかります。小柄な方は、尾上松也よりも老けて見え、ベテラン感があります。松也に比べ動きにハリがありきめ細かいように感じられます。双眼鏡で覗き込むと顔に見覚えがありましたが誰なのか、鑑賞中は思い出すことができませんでした…松也の方は小柄な方の役者よりも若いからか全体的に肉付きがよく、動きは少々粗いが勢いがあります。

やがて、天井から何やら漢字一文字が書かれ、雲の形をしたパネルが2つ登場しました。当初は舞台の中で空に位置する高さにありましたが、やがて役者2人の背の高さまで降りてきました。雲に書かれていた漢字の部分が2人の顔に仮面のようにはりつけられ、漢字の部分を接着部として顔にその雲のパネルをつけたまま2人は舞い始めました。後ほど確認すると、この雲に書かれた漢字は「善」と「悪」で、善玉と悪玉を表しており、このシーンは川沿いで踊る2人の漁師に善玉と悪玉が取り憑いて軽快に踊る、というシーンだったようです。このシーンも、神功皇后と老臣のシーン同様、祭礼の山車の上での出来事という設定です。やがて、松也演じる「善玉」に取り憑かれた方の漁師が小舟に乗って舞台から消え、もう1人、「悪玉」に取り憑かれた方の漁師が口惜しそうに見送り、このシーンは幕を閉じます。

ここまで書いたところでそれなりの量になってしまったので、今回はここまでとし、
次回、演目の後半について描いていきます。松也でないもう1人の、小柄な方の役者が誰なのか、鑑賞後に分かったのでそれもネタバラシをします。歌舞伎ファンじゃなくともおそらく知っている、有名なあの人だったのです・・・!