ふるあめりかに袖はぬらさじ〜玉三郎、幕末を生き抜くひょうきんな芸妓を熱演〜

六月大歌舞伎ビラ(発行:松竹)



「ふるあめりかに袖はぬらさじ」というのが今度見に行く演目なのだと知った時は正直驚きが隠せませんでした。歌舞伎の演目といえば古典物を中心に、漢字を連ねた古い、どっしりした雰囲気のものが多いイメージですが、、そんな中、ひらがなで、しかも「アメリカ」と入っている。演目の名前だけで一気に興味をそそられました。

聞けば、有吉佐和子さんという昭和の小説家が書き下ろした演目だそうで、
斬新なイメージの通り、実際、(歌舞伎の演目としては)新しいんですね。

「ふるあめりかに袖はぬらさじ」有吉佐和子著 中公文庫


その有吉さんが書き下ろした物語を脚本の形そのままに文庫本となったものを読んだところ、江戸末期の芸妓さんの話なのだと分かりました。
尊王攘夷」が叫ばれる当時、「あめりか」は、慎重に付き合わなければいけない異国。それはアメリカが怖いとかどうのというより、当然、当時の日本には、そうした異国を受け入れる考え方と、排斥する考え方、様々な考え方の人が入り乱れ、正反対の考えの人同士が居合わせればすぐに争いになってしまうような一触即発の状況だったからですね…

そして遊郭にも、当時は様々な考え方を持った人が訪れるので、芸妓たちも、言動にはかなり慎重で、きっと本音を隠しながらお客様と接したこともあったのでしょう。
今回の物語の舞台は、横浜の遊郭。世界と直接つながっている港町にあるので、「異国を受け入れる」方の遊郭です。
外国の方専用の遊女たちがいた、と聞くとだいぶ先進的な感じがしますが、なぜ、日本人用と外国人用を分けなければならなかったのでしょう。
それは、外国人と一度一夜を共にした遊女は、日本人客から避けられたためです。
なので、一度外国人を相手した遊女は、日本人に好まれない、つまり外国人の相手をし続けなければなりません。そんなわけで、外国人用の遊女は、売れ残りがち、と言うと失礼ですが、曲者の遊女ばかりとう描かれ方をしています。
遊郭としては外国人を受け入れるスタンスだが、その遊郭には外国人以外も、もちろん日本人の客も来るわけなので、日本人にも心地よく楽しんで貰わなければならない、
なので外国人用と日本人用で遊女を分けざるを得ない、という訳です。

そんな中、遊郭にやってきた外国人客が、外国人用の遊女は一人も気に入らず、代わりに連れの日本人男性のために入ってきた日本人用の遊女に一目惚れしてしまったところから物語は動き出します。「なぜ、僕は彼女と共に過ごせないのか、差別だ!」と憤慨します。(余談ですが外国人役が歌舞伎座の演目で見られるとは新鮮でした!!
※実際に演じているのは日本人ですが、体格良く、目鼻立ちもはっきりされた役者さんで本物の欧米人のようにリアルでした。)

実際見に行った歌舞伎の中では、確かに外国人用の遊女は全員「妙ちくりん(と歌舞伎のプログラムにも書いてありました笑!)」な姿・格好で出てきたので、外国人客が憤慨するのも無理もないなと思ってしまいます。
本当に、外国人用の遊女の皆さんの着物は見たこともないくらいド派手で、リボンは顔の3倍くらい大きく、色使いもめちゃくちゃ。化粧もアイシャドー塗り過ぎて目見えないよ、ってくらいで、思わず笑ってしまうんです。彼女たちがこぞってガヤガヤ入場してきたときは、それはもうある意味圧巻で、劇場全体がどよめきと笑いに包まれました。ところで、この遊女さんたちを演じているのは女性役者さんたち・・・!もちろん、女性の歌舞伎役者はいませんので、女性役者さんたち、とは日本舞踊の踊り手や舞台女優の方々です。
通常、歌舞伎座で実際の女性が演じているところを見ることはありませんので(私は初めてで)非常に新鮮でした・・・!そもそもプログラムに、出演者として女性の面々が乗っていらっしゃるのが新鮮でした。

そんな女性陣の中でも一際美しかったのが、、歌舞伎役者(男性の!)坂東玉三郎さんですね。今回、主役の芸妓さんを演じられました。
今回の役回りは、可憐で清楚、というより、おしゃべりで姉御肌、というキャラクターだったので、うっとりする美しさを披露、というような役ではないのですが、
それでもキリッとした美しさがあるし、親しみやすいキャラクターは新鮮でした。それも含めて丸ごと魅力的でした。
この数ヶ月前に演じられていた「じいさんばあさん」の妻役も私の中では玉三郎さんとしては親近感を持ちやすいキャラクターでしたが、今回はそれよりさらに笑いを何度も誘い、誰もが親近感が持てるキャラクターでした。
ですので、ラストで、かぶっていた猫を剥がされボロボロになった感じとのギャップもその分強く、ラストの酒を飲みながらのたうちまわりながら独白するようなシーンは本当に圧巻でした。
玉三郎さん演じるお園さんは、後輩の面倒見のいい一面、お話も三味線も堪能な経験豊かで優秀な芸妓としての一面、ちょっとした女の色気、愉快な酒飲み、そして最後の涙の叫び、様々な顔を見せてくれました。(お園さんのカツラ、についても、この一つの演目の中で、なんと5個も使い分けているそうです…)

この物語、そしてそんなお園さんの幾つもの一面、表情を通して、この演目を通して、当時の女性たちが本音を隠して気丈に生きなければならなかった、あるいは時代に合わせて本音を「書き換えられる」こともあった「切なさ」、そんな中でもなんとか生き抜いていた「強さ」、ひいては、時代を超えて
「女の切なさ」「強さ」を感じました。
見始めた時には、いや途中まで、最後まで、まさかこんな気持ちになるとは思わなかった。
初めは、楽しく笑い転げ、明るく愉快な雰囲気だった観客席も、最後にはしんと、セリフに感じ入るような雰囲気にガラリと変わっていたのが印象的でした。
ですので、きっと会場の皆さんも、私と同じように、あるいはちょっと違う形でかもしれませんが、何かしら、「意外性からくる感動体験」をしていたような気がします。
また新しい体験をさせていただき、感謝感謝です・・・!
一つ一つのシーン、セットまでもが不思議なくらい鮮明に脳裏に焼きつく演目でした。