弟のその後と明日へのエール

気がつけば前回の更新から9ヶ月も経ってしまいました。
前回は、中学3年生になった弟が、精神薬の服薬により絶不調に陥りながらも、高校受験に挑戦するところで話が終わっていました。

弟は、父親も通った鹿児島のラ・サール高校が志望校でした。
薬の影響で脳の機能は低下し、心も不安定な中でしたが、志望校は変えずに受験に挑戦しました。保護入院などもしていたため、ろくに勉強する時間も取れないまま入試当日を迎えました。
当日ちゃんと起きることができて、試験会場で何事もなく試験を受け終わっただけでも奇跡だと、私たち家族は思いました。
しかし、弟は合格も手にすることができました。弟と私はちょうど3歳差なので、その年私は高校受験、我が家にとっては「ダブル受験」の年でした。私の大学合格を報告するFacebookの投稿に遡ると「家庭内でも色々ありましたが」と書いています。

奇しくも、我が家にとって最も暗い時期が、我が家にとって最も大事な時期なのでした。

ラ・サール高校は鹿児島、私たちが住んでいたのは熊本だったので弟は高校の寮に入ることになりました。高校からはリセットして、心機一転、頑張ろう、と家族全員、前向きな気持ちでいました。
しかし、高校生活をスタートさせて間も無く、「高校生活が始まることでストレスが増えるだろうから」ということで、弟は医師からまた薬の量を増やされました。その影響で弟はだんだん朝起きれなくなっていき、とうとう授業にも行けなくなってしまいました。最初は高校に行けていたのが、薬が増えた後からは、毎日眠くてたまらなかったそうです。

「息子さんが最近授業に出られなくなってしまって…」と、ラ・サール高校から母に連絡が来たのは、私の東大入学式に出席していた時でした。周りには東大の新入生とその家族の幸せそうな笑顔が溢れ、祝福ムードに包まれている中で、母は私にも弟のことを話す気にはなれず、その場の祝福ムードに合わせて笑顔を取り繕いながらも、一人心中では不安と悲しさでいっぱいだったと言います。ラ・サールから連絡が来たのは私の入学式の最中だったというのを、私は随分後になってから聞きました。

 

流石にこの頃になると、両親も薬の影響を疑い、減薬することにしました。急な減薬もまた、離脱症状を招いてしまうので慎重に行わなければなりません。(なので、このブログをお読みの皆さんも、自身や周囲の方が心の問題を抱えていて何か服薬をしている場合、急に減薬はせず慎重に行ってくださいね)


当初は順調に減薬できていましたが、最後に減薬に失敗し弟は精神撹乱を起こしてしまいました。皆さんも、これは薬による禁断症状だとお思いになることでしょう。しかし、弟は病院で今度は「統合失調症」と診断されます。「薬のせいでこうなったのに…」と弟は診断にショックを受けてしまいました。と同時に、弟は、改めて、「自分を病気に仕立て上げている薬と縁を切ろう」と、断薬を決意しました。

 

そんな時に出会ったのが、地元熊本の和漢堂松田医院の松田先生でした。この病院は「薬やめる科」という名の科があり、減・断薬指導を行っていました。その先生の指導のもと、弟は改めて断薬に取り組み、しばらくの間順調に減薬できて、高卒認定試験にも合格しました。しかし、また断薬の終盤に差し掛かったところで、精神撹乱を起こしてしまいました。

薬というのは人間の身体には本来不要なもので、完全に外から入ってくる「異物」なので、飲み始めることにしろ、飲むのを辞めることにしろ、身体にとっては本当に大きな変化です。そのため、断薬は本当に難しいことです。長い時間をかけて少しずつ薬の種類を減らし、服薬量を減らさなければ身体が適応できず禁断症状が出てしまいます。弟も、このように何度も断薬に失敗してしまいましたが、今度こそは成功できるように、と今も頑張っています。

今では薬の種類も一種類になって久しいですし、飲んでいる量も以前に比べると極めて微量です。運動や食事など本人の努力もあり調子はすこぶる良く、薬を飲み始める前の弟に戻ったな、と実感する今日この頃です。

高校は卒業できませんでしたが高卒認定試験は合格しているので大学受験する資格はあります。今は受験勉強をしながら、(普通より社会経験ができていないのを少しでも補うために)バイトをする毎日です。本人の夢は、ある日は自分のような思いをする人を一人でも減らすため、精神薬を使わない治療をする医師になること、、、だったり、またある日は、いっそのこと医療から離れて、鍼灸師として人々を癒すこと、だったりと日々揺れ動いています笑

何にせよ、ここからの人生は、誰にも何にも縛られることなく、不当に苦しむことなく、自分らしくのびのびと生きていけたら何でもいいじゃない、と姉としては思う毎日です。

 

こんなに込み入った家庭の事情をわざわざ公開すべく昨年から筆を取ったのは、弟のような思いをする人を一人でも減らすために何か行動したかったから、
そして、悪者探しをするでもなく誰のせいにするでもなく冷静に客観的に、我が家で起こったちょっとイレギュラーなことを振り返りたかったから、

それから家族に向け私なりのエールを送るためです。
壮絶になってしまったここまでの人生を生き抜き、これから羽ばたく弟。
自分のせいでこうなったのだと自身を責め続けるのを何とかやめて、前を向こうとしている母。
弟の一番近くで日々マイペースに?叱咤激励する父。

(全員、頑張れーーー!我が家に降りかかったこの困難、最後まで気を抜かずみんなで乗り越えましょう)

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。少しでも、何か皆さんのお役に立てることがあったのであれば、とても嬉しいです。