精神薬によって狂わされた弟の半生について

昨今世間で、やたらともてはやされる、うつ病発達障害、と言った、「脳の病気」「心の病」への疑問を前回の投稿で投げかけて終わり、早一ヶ月が経過しました。

 

前回のブログの最後に、精神薬の「犠牲者」となった弟の人生について語ると書いたので約束通り、皆さんに弟の人生についてお伝えしてみようと思います。

 

前回のブログでも少し触れましたが、

弟は、ごく普通の、元気な男の子でしたが、中学生の時に不登校になった際、精神科医から「アスペルガー症候群」と診断され、以来、精神薬の「薬漬け」になってしまいました。

 

弟と私が通った、熊本大学教育学部附属中学校は、県内でも随一の進学校で、体育祭や、合唱コンクール、駅伝大会など生徒たちに行事もかなり頑張らせる熱心な中学校でした。そうした行事のうちの一つ、駅伝大会の練習期間中に、弟は不登校となってしまいました。

 

サッカー部に所属していた弟は、駅伝大会にて、サッカー部の名に恥じない良い走りをしてクラスの優勝に貢献したい、という自負を抱いていましたが、その思いがプレッシャーとなってしまい、学校に行くのがだんだん辛くなって行ったようです。

駅伝大会には出場したものの、その後疲れ果てた弟は、学校を休むようになりました。

 

当時、私含めた家族は、弟のただの怠慢だと捉え、弟を責めたり説教したりして、無理やりにでも学校へ行かせようとしてしまいました。しかし、押しても引いても状況は変わりません。学校に行けない日が数ヶ月続くと、母は、「病院には診せないんですか」と学校から強めの口調で促され、やむを得ず弟を精神科へと連れて行くことにしました。

弟も私もそれまで不登校になったことなどなく、初めての状況に母も焦ってしまいどうすればいいのか分からなかったと言います。そこで、学校に言われるがままに弟を病院へと連れて行ったのです。

しかし、母親は、

「息子は朝起きられないだけなんです。朝起きられるよう習慣付けてくれるようなところはありませんか?」

と医師に相談したところ、

「そんなところ、ある訳ないじゃないですか」

と医師は冷たく一蹴したそうです。

また、

「成長期にこんな薬を飲んで影響はないのですか?」

と尋ねたところ、
「全くありません」
との答えが返って来たため、母は、この言葉を信頼することにしました。

さらに弟は、「アスペルガー症候群」と診断され、何種類もの薬を処方されました。

母が診断結果を学校に伝えると、学校はどこか安心したような様子だったと言います。

弟は、処方された薬を飲み始めましたが、事態は良くなるどころか悪化していきました。弟はどんどん眠れなくなり、朝もますます起きられなくなってしまいました。

当然、学校にも行けません。私たち家族は、そんな弟の状況を、診断された「アスペルガー症候群」のせいだと信じ切っていました。

さらに、弟は、以前よりどこか自分勝手で暴力的になっていき、私たち家族にも暴力を振るうようになってしまいました。

母も父も、「アスペルガー症候群」や「発達障害」について必死に調べ、対応策を考え続けました。

ここで私含め家族は、弟の異変が診断された「アスペルガー症候群」のせいだと信じ、まさか薬のせいだとは気づかなかったのです。

一度診断された病名、専門家の意見というのは、それほどに絶対的に思えてしまうものなのです…

その後、しばらくして弟は、診察を受ける病院を変えてみましたが、そこでは飲む薬を一気に変更されました。

定量の薬を一定期間飲んでいて、その薬を飲むことを急にやめたり、飲む薬を一気に変えてしまったりすると、人間の体はその変化に対応できず、副作用や禁断症状が出てきてしまいます。

当然、弟も、精神状態がおかしくなってしまい、住んでいたマンションのガラスを割って警察沙汰にまでなってしまいました。その後医療保護入院となり市内にある精神科の病院に入院する事になりました。

実は、薬を一気に変更させた病院の主治医は、アメリカに赴任していた際、3歳の少女にセロクエルという抗精神病薬を不当に処方して、結果的にその少女を死なせたという、犯罪歴とも呼べるおぞましい経歴を持つ医者だったのです。

もちろん、弟が診察を受けていた当時は私たち家族はそんなこと、知る由もありませんでしたが、後になってこの医師の経歴が判明しました。この医師によって、弟の命まで奪われてもおかしくなかったのだと思うと、本当に恐ろしく思います。

また、先述の事件がアメリカでは社会的に大きな問題となったため日本に戻って来たその医師が、今も熊本で診察を続けていることが本当に恐ろしいです。

住んでいたマンションのガラスを割ってしまった事件の後も、ちょっとしたことで「キレて」物を投げたり、私たち家族に当たるといった弟の問題行動はその後もなかなか止みませんでした。

元々はとても穏やかで怒ったりすることも滅多に無いような弟の性格からすると考えられないような行動でした。

そんな中、弟は中学3年生、受験生になりました。なんと、弟は、薬により脳を蝕まれているこの最悪な状況下でも受験という大きな試練を乗り越えるのです。そのお話は、また次回、させて頂きます。